『いただきます』と『ごちそうさま』
遊ぶことだけ考えています、香怜です٩(๑>∀<๑)۶キャハハハハ♡*゜
ご飯を食べるときの『いただきます』や、食べ終わったときの『ごちそうさま』は、どういう意味か考えたことはありますか?
高野山真言宗のお経本の最後に【食事作法】が載っているのでご紹介します。
《食前のことば》
一滴の水にも、天地の恵みを感じ
一粒の米にも、万民の苦労を思い
ありがたく頂きます
《食後のことば》
今すでに有り難き食を受け、力身(ちからみ)に満つ(みつ)
願わくば身を養い心を修め報恩の道にいそしみます
ご馳走さまでした
香怜的解釈です。
水を得るためには、雨が降らないといけません。ここ数年は突然大雨が降ったり、日照りが続いたりと異常気象が続いています。科学が発達したとはいえ、必要なときに必要な分だけの雨を降らせることはできませんよね。
お米を食べるには、その雨も太陽の光も、そしてもちろん人の力が必要です。
全てがバランスよくあらねば【有ることが難しい】食べ物を、自分が生きていくために【いただく】から『いただきます』です。
牛や豚、鳥、魚の命も頂かないと生きていけないから『(私達が生きるために命を)いただきます』であり、レストランや食堂で、作ってくれた方はお仕事かもしれないけれど、その方達がいなければご飯ができて【有ることが難しい】から『いただきます』であると思っています。
その【有ることが難しい】食べ物を頂き、自分の身になり力となったから、その力を自分ができる形でどなたかにお返しできるように生きていきます、というのが『ご馳走さま』ですね。
みなさん物心ついたときには『いただきます』と『ごちそうさま』は口から出てきていたと思いますが、あらためて【生きていくために食べる】、【食べることができるから生きていける】ことの意味を考えてみましょう。
香怜