銀閣寺に行ってきた~
今日はここ最近とは違う内容で、、、香怜です。
息子がこの春から京都に下宿を始めたので、今までより頻繁に出かけます。
今回も荷物を持って行く途中で【銀閣寺】へ行ってきました。
銀閣寺は本当は【東山慈照寺】といいます。臨済宗相国寺の境外塔頭です。
室町幕府の八代将軍・足利義政が、祖父である足利義満建立の金閣寺にならって建てたと云われています。キンキラキンの北山文化の象徴のような金閣寺とは対照的な落ち着いた東山文化そのものの銀閣寺です。
この銀閣は観音殿といいます。金閣寺は舎利殿といいます。(ちなみに金閣寺は本当は【鹿苑寺(ろくおんじ)】)
観光客がわんさかいますが、それを除けばとっても趣のある、落ち着いたステキな場所です。
この銀閣のすぐ横には【向月台(こうげつだい)】と【銀沙灘(ぎんしゃだん)】があります。
先の写真、向月台はこの上に座って東山に昇るお月様を待つためのもので、下の写真、銀沙灘は月の光を反射させ、銀閣をキレイに浮かび上がらせるのではないかといわれています。
(逆光だったのでちょっと編集しました)
砂でできているので、ほんまに昇れるんか?と言われれば、ちょっと疑問なんですが(^^;)
まぁ、そこは『ふーん、そーなんや~』ということで、、、
順路に沿って庭園を進んでいきます。
まだ紅葉には早かったです。
ちょっと見えにくいけど、京都の町が一望できます。
銀閣そのものができる前に義政公は亡くなったそうですが、この庭園から街並みを見て、少し政(まつりごと)から離れてたのかなぁ、、、。
紅葉の頃にまた来たいです。
恐れ・怖れを手放す
香怜です。
前回の記事にもつながることなんですが、
こう行動すると良いことが起こる(起こった)、ああ行動すると悪いことが起こる(起こった)、と人間は経験していると知っています。良いことであっても悪いことであっても【知っている】ことは、イコール安心なんです。
けど、経験していないことは結果がどうなるのか分からないから【怖い・恐い】という気持ちになります。
夢を実現するのなら、このおそれを頭の中からも心の中からも外さないといけません。
以前にこういう行動を取ったらこんな結果になった、、、だから今回も同じ結果になるかもしれない。と人間は考えがちですが、以前は以前であり、今とは違います。
相手がある場合は、その方の考え方が変わったかもしれないし、自分が置かれている状況も立場も変わってるかもしれませんよね。
だからこそ過去のことに縛られず、結果がどうなるかも考えず、夢や望みがあるならば一歩踏み出しましょう。
一度に全ては叶わないかもしれないけれど、踏みだした一歩や言葉にして出せた時には、先に何倍にも何乗にもなって心や現実のものとして返ってきます。
夢や希望を叶えるのにまずは何をすればいいのかをしっかり考え、扉を一枚だけでいいから開けてみましょう。
扉を開けることにもおそれを感じるなら、『夢が叶ったらいいのになぁ』ではなく
『夢は必ず叶う』と強く心に思いましょう。同時にそれが現実のものになった時の自分の姿をしっかりと思い浮かべましょう。
そうするだけでも一歩踏み出せたということです。
皆さんの夢や願いが現実となるよう、おひとりおひとりに寄り添うのが香怜の本当のお仕事です。
神様仏様のお力をお借りして、全力でサポートさせていただきます。
香怜
思いを具現化する
朝晩肌寒くなってきましたね、香怜です。
毎日ではありませんが、私のTwitterで神様や仏様からの【今日のメッセージ】をつぶやいていますが、ここ最近は同じような内容が続いています。
『こんなことがしたいとか、あんなことをやりたいと思うことは必ず叶うから、一歩進みなさい、勇気を持ちなさい。』
ということなんですが、みなさんはその心にある望みに対してどう思っていますか?
『単純に夢やからなぁ』とか『そんなん叶うわけないやん』とか『ムリムリ~』とか、思いを打ち消してませんか?
息子がまだ小さい時『いつか、ラーメン食べたいから今から北海道いこー!とか、焼き肉食べたいから今から韓国いこー!って思いつきで旅行したいねん』と、友達にずっと話していました。
パートに出るようになってからは、土日は休めないし息子を遊びに連れて行く事もなかなかできなくて、そんな話をしていたことも忘れてました。
最近になってあっちこっち出かけたり、バイクの免許取ったりして、ふとその時のことが実現できてると気づいたんですよね。
タイミングももちろんあります。でも、どうして実現できたのか考えてみたら、できないかもの思いは忘れて『やってみよう!』、『言ってみよう!』、『行く!』と決めたことだと思います。
スピリチュアルの世界では、できないことは何一つなくて『私は○○する』、『私は○○になる』と宣言すれば実現するんです。
一歩踏み出すことで夢への扉は一つも二つも開いていきます。
一緒に具現化へ向けて進んでいきましょう。
香怜、しっかりサポートさせていただきます!
『いただきます』と『ごちそうさま』
遊ぶことだけ考えています、香怜です٩(๑>∀<๑)۶キャハハハハ♡*゜
ご飯を食べるときの『いただきます』や、食べ終わったときの『ごちそうさま』は、どういう意味か考えたことはありますか?
高野山真言宗のお経本の最後に【食事作法】が載っているのでご紹介します。
《食前のことば》
一滴の水にも、天地の恵みを感じ
一粒の米にも、万民の苦労を思い
ありがたく頂きます
《食後のことば》
今すでに有り難き食を受け、力身(ちからみ)に満つ(みつ)
願わくば身を養い心を修め報恩の道にいそしみます
ご馳走さまでした
香怜的解釈です。
水を得るためには、雨が降らないといけません。ここ数年は突然大雨が降ったり、日照りが続いたりと異常気象が続いています。科学が発達したとはいえ、必要なときに必要な分だけの雨を降らせることはできませんよね。
お米を食べるには、その雨も太陽の光も、そしてもちろん人の力が必要です。
全てがバランスよくあらねば【有ることが難しい】食べ物を、自分が生きていくために【いただく】から『いただきます』です。
牛や豚、鳥、魚の命も頂かないと生きていけないから『(私達が生きるために命を)いただきます』であり、レストランや食堂で、作ってくれた方はお仕事かもしれないけれど、その方達がいなければご飯ができて【有ることが難しい】から『いただきます』であると思っています。
その【有ることが難しい】食べ物を頂き、自分の身になり力となったから、その力を自分ができる形でどなたかにお返しできるように生きていきます、というのが『ご馳走さま』ですね。
みなさん物心ついたときには『いただきます』と『ごちそうさま』は口から出てきていたと思いますが、あらためて【生きていくために食べる】、【食べることができるから生きていける】ことの意味を考えてみましょう。
香怜
ぶれない自分
ヤバいです、おやつが止まりません、香怜です(ーー;)ドーシマショ
ぶれない自分、揺るがない自分、、、
決して自己チューとか、ワガママとか、頑固者という意味ではないんです。
周りの声に振り回されない自分でいる、自分軸を持つ、ということです。
話していると、人の考えを否定ばかりする人や、ディスる人、考えを押し付ける人っていますよね(^^;)
自分が今までやってきたことや、これからやろうとしていることを否定されたり、ディスられたりしたら『やらなきゃよかったかなぁ』と考えてみたり、その言葉にとらわれて何も手につかなくなったりしますよね?
でもね、一瞬心がぐらつくかもしれないけれど、あくまでもそれはその方の経験や価値観、考え方であって、あなたに当てはまるものではありません。
だいたいそういう方は『絶対○○だから~』って【絶対】ってつけるんですよね(^^;)
が、【絶対】なんてありません!!なので気にする必要なんて何一つないんです。
ご自身で決めたなら、それを腹に落とし込んで進んでいく、それだけです。
その道が神様や仏様からのお導きからそれているなら、軌道修正するようにちゃんとストップがかかります。
揺るがない自分でいると、他人の目が気にならなくなるし、他人をうらやむ気持ちもなくなります。
周りの声に惑わされないこと、流されないことをシッカリ落とし込んで、地に足を付け進んでいきましょう。
香怜
【生きて今あること】になんで感謝なのか?
前に人間も物質なので古くなるとガタがくるし、壊れると書きました。で、もう修理ができなくなったり寿命がくると死ぬわけです。
で、魂は一旦宇宙の大きな存在預かり、となります。
魂は永遠ですが、その成長、勉強、修行というのは、肉体を持って地球で【生きていく】ことで成されると言われています。人間として沢山の経験を積むことが魂の成長に繋がるんです。
お母さんのお腹から生まれてくるときに、『今回の人生は、こんな勉強をしよう!』と決めてくるんですが、今生その勉強が目標に到達しなかったら、また生まれ変わってこの世にくるわけです。
ただし生まれ変わるには【肉体】という器が必要なわけで、成長、勉強、修行が必要な魂は順番待ちをしてるんです。すぐに生まれ変われる魂もあれば、宇宙で何百年も待ってる魂もあるわけです。
肉体をもらえて、また生きていくことは再度チャンスをもらえたということですよね。
毎日つらいことや、悲しいと感じることばかりかもしれません。が、裏をかえせばそれだけ沢山の心の成長、勉強、修行を積めることであり、そういう心を知ることは真逆の気持ち【嬉しい】だとか【幸せ】だといったプラスの感情も知ることができます。
たっくさんの順番待ちをしている魂の中から、器をもらえて【今、生きてこの世に在る】のだから、感謝しましょうね、、、ということです。
如意輪観音
日が落ちるのが早くなってきましたね、香怜です。
先日、どうしてものお願い事があったので大阪・河内長野にある【観心寺】というお寺へ行ってきました。
毎春、年に一回だけお姿を拝見できる仏様です。
(写真に撮ることはできないので画像はお借りしました)
ふっくらと優しいお顔でしょ(*^^*)
思うままに智慧、財宝、幸せをもたらす【如意宝珠】(胸の前にある肉まんみたいなの(^^;))と、煩悩を打ち砕く法輪を持ち、頬に手を添え『どうすれば人間たちが幸せになれるか』をいつも思ってくださっています。
今回はもちろんお顔は見れませんでしたが、厨の前でひたすら、ただひたすらに観音様のお名前を呼び続けていました。
お願い事のためだけにお寺や神社へ出かけることはめったにしないんですが、今回は大好きな方々にとって最善となるようにお参りしてきました。
仏様からは、これまでしんどかったことや苦しかったことも、春になって花が開いていくように少しずついい方向に進むから、安心してことにあたるように、とお言葉をいただいたので、これまでの経験をプラスに繋げていってくれればなぁーと思っています。
これからも私にできる方法でサポートしていこうと思います。
香怜